【税理士が解説】利用者やご家族は介護サービスを「家政婦のサービスと勘違い」していませんか?

苦情対応の参謀

前回のブログでは、「苦情」と「要望」について、どのように受止めるかという点でブログを書きました。

今回のブログからは、「苦情」を中心に、事業者としてどのように対応していけば良いのかという点に焦点を当てて、ブログを書いてみます。

介護保険事業者に対する「苦情」と言うのであれば、そもそも介護保険制度が成立し、その中で提供されているサービスであり、この役務に対する「苦情」であると言うことができるはずです。

今回のブログでは、まずこの介護保険制度が成立する前後の時期における「介護」というものが、介護を受ける本人やその家族にとって、どのような位置づけであったことを振り返る必要があると考えました。そのうえで今回取り上げるような苦情の事例がなぜ生じるのか、事業者はどのように対応することが必要なのかを書きたいと思います。

戦後の家族単位の変化、そして生活スタイルの変化について

介護保険制度が成立したのは2000年です。当然ですが、これ以前は介護保険制度が存在していません。しかしながら当時も介護を必要とする高齢者は生活を送っていたはずです。そうであるならば、介護保険制度に代わる「受け皿」が存在していたはずです。その「受け皿」はいったい何であったのでしょうか。

そうした意味で、まず介護保険制度が成り立つ以前の介護を必要とする高齢者の生活はどのように支えられていたのか、私たちは確認しなければなりません。本項では、高齢者の生活に伴う時代背景や法制度等を確認しながら、当時の振り返りを行います。

まず、家族を法律で捉えるとするならば民法(家族法)を確認します。この民法は、第二次世界大戦後、1947年に新しく民法が公布され、これに伴い戸籍制度も改正となりました。

戦前の戸籍制度は、直系尊属が家の実権を有していた家父長制度から成り立っていました。つまり、家、そして家長を中心とする家族が中心となっており、家単位の「自助」が基本となっていました。そのような状況であれば、高齢者の生活を支えるのは家族であり、最終的にその高齢者の看取りまで家で行うことが多かったのです。

戦後の戸籍制度は、夫婦を基礎とした核家族となりました。これは現在の戸籍制度について確認すると、婚姻し新戸籍を編纂すること(夫婦とその子供までが同一戸籍に記載される)からも明らかです。こうなると、婚姻前に戸籍から離脱し、新戸籍を編纂するということは、「親の戸籍から離脱する(別戸籍となる)」ということになるということです。

つまり民法や戸籍制度の改正に伴い、「家」という「法的基盤の範囲」が変わってしまったのもひとつの誘因なのかもしれません。しかし、これらの理由だけではなく、以下に記載するような「我が国の家族や生活スタイルの変化」こそが、家族の在り方や生活スタイルに大きく影響しているのだと思います。

以下に参考までに、我が国の家族や生活スタイルの変化に影響を与えた可能性がある誘因を記載します。

★1947年(民法改正)~2000年(介護保険成立)までの我が国の家族や生活スタイルの変化

①結婚、子育て

・未婚者数の増加

・女性の出産数の減少

・子育てにお金がかかる

②女性

 ・女性の社会的進出

・女性の高学歴化

・専業主婦の減少

 ・結婚に伴う退職者の減少

 ・婚姻後も仕事の継続

・共働き世帯の増加

③都市と地方

 ・都市部への大学進学

 ・大学卒業後、都市部でのそのまま就職

 ・地方で希望の就職先が少ない

④家族

 ・核家族化

 ・子供を作らない選択

 ・成人後、子供と同居しない

 ・未婚の子供が家に居座る

 ・高齢者数の増加

 ・高齢者のみの世帯の増加

 ・高齢者の平均寿命が延びている

⑤仕事、所得の状況

 ・新卒で就職後、転勤

 ・非正規職員の増加(所得が増加しない)

 ・世帯所得の伸びが低い

平均寿命の推移と高齢者の人口動態について確認する

前項でも記載しましたが、戦前は家父長制度から成り立っていました。よって、家族が「介護」が必要となれば、「当然家族がこれを支える」、つまり家単位の「自助」が、この受け皿となっていました。そのような状況であれば、高齢者の生活を支えるのは家族であり、結果、最終的にその高齢者の看取りまで家で行うことが多かったのです。

【図1】を見ると、1955年における男性の平均寿命は63.60歳、女性の平均寿命は67.75歳であることが分かります。また、2019年における男性の平均寿命は81.41歳、女性の平均寿命は87.45歳であることが分かります。

単純に、この64年間に男性の平均寿命が約18歳、女性の平均寿命が約20歳も平均寿命が延びていることが分かります。このように男女とも平均寿命が延びると、単純に高齢者の人口が増加していることが分かります。

 加えて、平均寿命が延びることに伴い、高齢者の人口の増加は、【図2】のとおり、日本の人口の推移にも大きな影響を与えているのです。

 2020年時点において、日本の総人口は12,615万人であり、65歳以上人口の割合、いわゆる「高齢化率」は28.6%となっていることが分かります。

 この【図1】と【図2】より、1955年と2020年を比較すると、高齢者の数も大幅に増加、高齢者化率の割合も大幅に増加していることが分かります。

 つまり、単純にこれだけの高齢者の数も大幅に増加、高齢者化率の割合も大幅に増加した状況では、これを仮に「戦前」のように家単位の「自助」で支えるようとしても実際に不可能です。

 こうした日本の人口動態の推移や生活スタイルの変更は、「自助から公助への変更」、つまり介護保険制度が必要となった大きな誘因のひとつであったと考えます。

介護保険制度が成立する以前の介護の「受け皿」は「嫁の務め」

 戦前で家族が「介護」が必要となった場合、「当然家族がこれを支える」、つまり家単位の「自助」が「受け皿」となっていたと書きました。

では、戦後に民法や戸籍制度の改正に伴い、実際にすぐにその「受け皿」は変わっていったでしょうか。実際は、すぐにそのようなことにはなりませんでした。また戦前も、家族が「介護」が必要となった場合、「当然家族がこれを支える」と述べましたが、具体的には、家族の誰がこの「介護」を行っていたのでしょうか。

それは「嫁の務め」として、嫁が行っているのが実態だったのです。

第1項では、「戦後の家族単位の変化、そして生活スタイルの変化について」の中で、「★1947年(民法改正)~2000年(介護保険成立)までの我が国の家族や生活スタイルの変化」について、これに影響を与えた可能性がある誘因を記載しました。

そこに私は「女性の社会的進出」を挙げています。つまり、女性が社会的進出することとなると、実態として「嫁の務め」として「介護」を行うことができなくなっていったのです。

こうした変化が強まるきっかけは、1985年の男女雇用均等法の施行であり、これが女性の社会的進出の流れが強まり、反面、旧来からの家族として介護を支えること、つまり、「嫁の務め」として「介護」を行うことは、より困難となっていきました。

こうしたことから、介護の「受け皿」は、自助(嫁の務め)から公助(介護保険制度)に変化していかざるを得ない背景があったのです。

介護保険制度成立以前の家族以外が行う介護の「受け皿」とは?

 次に「嫁の務め」として嫁が介護を支える以外のケースを本項では確認します。介護保険制度が誕生する以前で、家族以外が高齢者の生活を支えていた状況は以下の場合が考えられたものと思います。

★家族以外が「介護」として高齢者の生活を支えた状況(介護保険制度成立以前)

 ・病院(いわゆる「高齢者病院」、「社会的入院」)

 ・家政婦、お手伝いさんの利用

 医療に係るということは治療が前提となります。しかし、高齢者が入院し完治したとし、自宅に戻るといっても、嫁は仕事に出ており自宅では誰もお世話をすることができない状況が生じました。こうなると結果、その高齢者は、「何とか入院という形で病院に居て欲しい」というような状況になることが多かったのです。

 そもそも、病院はあくまでも医療、つまり治療を行う場所であり、治療が終われば退院するのが原則です。そこに留まり続けるということは社会保障制度としても問題です。こうした「社会的入院」の解消を狙うことも、保険料と公費により生活を支える介護保険制度が生まれたひとつの要因です。

 また、一部の富裕層については、高齢者の家族を支えるために家政婦やお手伝いさんを活用したケースも見られました。

 こうして見ると、介護保険制度が成立する以前で、家族以外が介護を行うケースというのは、高齢者の「介護」を家族(嫁ができなくなった)で支えることができなくなったことに伴う「妥協の産物」であったのではないかと、私は思えてしまうのです。

利用者やその家族はそもそも介護保険制度を理解しているのか(事例を通じて)

 この介護保険制度は、女性の社会的進出をより促し、高齢者の生活を支えるという両面を有する優れた制度であると思います。

 現在の介護保険制度は、40歳になると2号保険者として介護保険料を負担、また65歳となると介護保険料の負担とともに「被保険者」となるのです。そして「要支援・要介護」状態となった場合、「一定の要件」のもと介護保険による保険給付を受けることができるのです。

 上記のとおり、簡単に介護保険制度を書きましたが、介護保険制度は保険料と公費より成り立っている保険制度です。当然これを利用するにも「一定の要件」が必要なのですが、

この「一定の要件」を理解することなく介護保険制度を利用するとどのようなことになるのか、具体的な事例を紹介したいと思います。

 私が訪問介護事業所の管理者をしていた時のこと、サービス担当者会議に参加すると利用者のご家族から以下のような「苦情」がありました。

「私がケアプランの内容を指示するので、これに従って介護サービスを提供して欲しい」

 私は繰り返し「一定の要件」のもと介護保険を利用できると言うことです。介護保険制度において介護サービスの提供にあたっては、もちろん利用者やそのご家族の意向を尊重することは必要なのでしょう。しかし、現行の介護保険法における介護サービスは利用者の自立支援を目的としたサービスなのです。そして居宅介護支援専門員は専門職業家としての知見や根拠に基づき、ケアプランを作成するのです。

では、なぜ利用者のご家族から上記のような苦情が出たのでしょうか。まず苦情があったことについて、客観的な事実を把握するため傾聴します。そしてその情報をもとに「苦情の原因」を、私なりに以下のとおり推測してみました。

★利用者のご家族からの苦情の原因の推測

 ・介護保険制度の利用の原則や方法を知らない

 ・介護保険制度における介護サービスを「家政婦」の利用と勘違いしている

 前述のとおり、利用者やご家族が介護保険制度の原則や方法を知らないのであれば、適正な介護保険の利用方法をお伝えしなければなりません。

 また、介護サービスを「家政婦」の利用と勘違いしているような場合、介護保険成立する以前の介護の「受け皿」に家政婦を利用していた場合や、訪問介護における介護サービスである「生活援助」を家政婦によるサービスと勘違いしているような場合が考えられるのではなでしょうか。

 こうした場合、利用者やそのご家族に、この介護サービスは介護保険制度に定められたサービスであって、「利用者やそのご家族の意向のみで、ケアプランの内容を決定し、介護サービスを提供することはできない」と伝えなければなりません。

こうした苦情に対しては、毅然と上記の内容を利用者やそのご家族にしっかりと伝える必要があるのです。そのように対応しなければ、今後介護サービスに対しての考え方について、齟齬が大きくなり、結果より大きな苦情となることが多いのです。

事業者側は予め利用者やその家族に対しどのような対応を採ることが必要か?

 介護保険制度を利用するにあたり、まず利用者やそのご家族に対して介護保険制度の適切な利用方法をお伝えしなければなりません。

そして前項のような介護サービスを「家政婦」のサービスと誤認されることがないように、事業者は予め、介護サービスの目的や範囲、介護サービスの提供内容等について、契約書・重要事項説明書・運営規程を通じて丁寧に説明することが必要です。特に重要事項説明書についての注意点を以下にまとめて記載します。

まとめ

 今回、「利用者やご家族は介護サービスを「家政婦のサービスと勘違い」していませんか?」というような強烈なテーマでブログを書いてみました。

そもそも事業者として、介護保険制度の成り立ちや制度趣旨、その利用方法を理解し、利用者やご家族に丁寧に説明することが必要なのです。

なぜ介護サービスが社会的要請の中で生まれてきたのか、そして、そもそも介護の成り立ちは何か原因で生まれたのでしょうか。あくまでの私の私見ですが以下に記載します。

★介護サービスが生まれた社会的要請の原因として私が考えたこと

・家族制度における女性の「嫁の務め」からの解放

・核家族化

・病院における「社会的入院」の回避

・「家政婦、お手伝いさん」からの派生

 介護サービスが生まれた社会的要請は、前向きなものではなく、どちらかと言うと「妥協の産物」と感じる面があります。

しかしながら実態として介護サービスの利用者数は介護保険制度が創設された2000年4月の149万人から、2019年4月には487万人と「3.3倍」にもなっています。

こうした状況を踏まえると、今後介護サービスを提供する介護職員等について、より専門性が高い介護サービスを提供することが今後必要となります。そうした意味でも、こうした介護サービスの成り立ちや歴史的な背景を確認することも有用なのだと思います。

今後も、「苦情」について、深掘りしたブログを書いていこうと思いますので、よろしくお願いいたします。また、次回のブログもお楽しみに。

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