「苦情」という言葉だけが苦情ではありません

苦情対応の参謀

皆さん、こんにちは。

元老人ホームの施設長を担当していた税理士・行政書士の山田勝義です。

さて、「苦情対応の参謀」のカテゴリーを立ち上げたのですが、それを初めてのブログでは、「苦情」と「要望」について、どのように受止めるかという点を書きました。

 利用者やご家族の言葉を、「苦情」や「要望」を言語的に勝手に分類し、挙句の果て苦情は「話が大きくなってトラブルになるからすぐに対応する」が、要望は「あくまでも要望なのですぐに対応しなくても良い」などというような判断をしているようなことはありませんか。

つまり、利用者やご家族からすれば「苦情」でも「要望」でも、何でも構わないはずです。要は「施設側に自分の希望や不満を伝えたい、改善してもらいたい」ということのみなので、施設側として、このような「苦情」や「要望」という言葉の分類、「言葉遊び」をしていても全く意味がないということです。

そのような経験から、前々回のブログを書いたのですが、今回のブログでは、改めて以下の三つの視点より、ブログを書き進めたいと思います。

★今回のブログの視点

①「苦情」という言葉のみで「苦情」を判断していないか

②日頃からお客様にどのような気持ちで接していますか

③「苦情」が出ないような施設運営をしていないか

④「苦情」を悪いことと捉えていないか

では、早速、本題に入ることにしましょう。

前回、あえて「苦情」と「要望」という形でブログを書いたのには理由があります。

それは私が施設長を担当していた時の話です。利用者やご家族が施設運営に不満や要望がある場合、多くの方々は「伝えたいことがあるので話す時間はありますか?」と、事前に連絡をしてこられる場合が多いのです。

そして、利用者やご家族と面会し、そのお話を傾聴すると様々なお話の中に施設での生活の不満であったり、要望であったりが含まれています。その中で私たち施設側が対応しなければならないことや方向性とお伝えしつつ、その話がすぐに解決することが難しい場合などは、話を一旦預からせて、後日対応するような形でお話をしました。

このような話の中で、実は利用者やご家族から明確に「苦情を伝えにきました」というようなお言葉を承ったことはありません。これは私の以外の施設長や管理者の方々も同じ感想を持つのではないでしょうか。時おり利用者やご家族が非常にご立腹し、私に怒りをぶつけてきたとしても、その場で前述のようにわざわざ「苦情」だと言うことは少ないと思います。

反面、これだけ利用者やご家族がご立腹している訳ですから、「苦情」などという言葉など聞かなくても、当然「苦情」であることは分かりきっているのですが・・・。

 しかしながら利用者やご家族から、この「苦情」という言葉を聞かなければ「苦情ではない」と判断してしまうような経験はなかったでしょうか。

実は、私の施設でも利用者やご家族からの「苦情」という言葉を聞かなかったということのみをもって、「苦情ではない」と判断してしまい、大きなトラブルに発展した経験がありました。

「苦情」という言葉を言われていないから、「苦情ではない」と判断することは施設運営において大間違い。

 そう言った意味で、例えば利用者やご家族からの発言に「苦情」という言葉が入っていなくとも「苦情」であることはありますし、「要望」という言葉の中にも苦情であるような意味合いが含まれていることが多いものなのです。

 また、このような場合、利用者やご家族の言葉に「苦情」という言葉が入っていないので判断できないのでは、と言うような方々もいることでしょう。

そうであるならば以下のように、自分の心の耳を研ぎ澄ましましょう。

 「苦情」という言葉の有無に関わらず、利用者やご家族の話を、まずはしっかりと拝聴したうえで、利用者やご家族が施設側に伝えたい「真意」を、しっかりと理解し対応するように努めることが大切なのです。

日頃からお客様にどのような気持ちで接していますか?

私も施設長を担当していて利用者やご家族からの「苦情」に対しては非常に敏感に対応していました。ここで敏感に対応していたと記載しましたが、私は利用者やご家族に対して、実は以下のような気持ちを持ちながら運営を行っていました。

 上記のように、お客様に対し「恐れる気持ちを持つ」というと、では「卑屈になる必要はあるのか?」という質問を受けることがあります。

これは全く話が違います。

私にとって、「恐れるという気持ちを持つ」ということは、利用者やご家族その関係で「慎重に対応する」、「尊敬する」という意味合いが強いのです。何も利用者やご家族に「卑屈に、そして媚びへつらう」ということではありません。よって、「恐れる気持ちを持つ」ことと「卑屈になること」とは大きく異なるのです。

私が、なぜこのような気持ちを持つのかというと次のとおりです。

確かに利用者やご家族を親しくなることは「信頼関係が増す」と言う側面があるのも事実です。しかし、これが行き過ぎると事業者とお客様との関係の線引きがあやふやになりかねない、つまり「プロ(事業者側)のサービス提供に対してお客様側から対価をいただく」という関係が希薄になる可能性があるのです。

上記の関係が希薄になると、結果、事業者側とお客様側との関係が「馴れ合い」になる可能性が大きくなるのです。そうなると「苦情」も出にくくなるかもしれませんが、反面、この両者の緊張感の無さというものは「運営の質を低下させてしまう」恐れがあるのです。

 こう言った意味からも緊張感を持った施設運営を送るうえでも、利用者やご家族に対し「恐れる気持ち」をいつも持つことは非常に大切なのです。

「苦情」が出ない施設運営をしていませんか?

 一般的に「苦情」が出ない施設運営は、非常に良い施設運営を行っているように思われますが、果たして本当でなのでしょうか。

参考までに、苦情が出ない施設運営は以下の場合を考えることができます。

 良い施設運営を行うために言えることは以下のとおりなのです。

つまり、利用者やご家族からの「苦情」に真摯に向き合うこと、そしてその対応を一所懸命考えることは、施設に勤務する従業員の運営能力を向上させる大切な肥料となるのです。そして、この「苦情」がたくさん出るということは「これからまだまだ運営能力が向上する余地がある」ということなのです。

「苦情」を悪いことと捉えていませんか?

前項でも、「苦情」は良い施設運営を行うための第一歩として考えるべきだと述べました。

とは言っても、確かに「苦情」で辞書を引くと「自分が他から受ける損害や不利益などに対する不平、不満」という意味があるのでマイナスのイメージを持ってしまいがちです。また、利用者やご家族からの「苦情」というと、何か責められているような感じにもなってしまうこともあるでしょう。

しかし、物事には必ずプラス・マイナスの両面が存在するものであり、「苦情」についても事業者側は、その効用を以下の通り考えることができます。

★苦情の効用(事業者側)

①「苦情」解決に向けて運営能力の向上

②「苦情」を検討することにより職員の運営能力の向上

③「苦情」解決により利用者やご家族の信頼関係の構築

このように、「苦情」の検討や解決を通じて、より施設の運営能力向上に寄与する機会が生まれるということなのです。つまり「苦情」が出ることを通じて、より良い施設運営になる可能性が広がるとも言えるのです。

まとめ

今回のブログのテーマは「苦情という言葉だけが苦情ではありません?」としてブログを書いてみました。

 つい「苦情」というマイナスイメージの強い言葉からは、運営側からすると、苦情が無いほうが良いと思ってしまう側面があるのも事実です。

 しかし、利用者やご家族は「苦情」という言葉を用いなくとも、施設側に自分たちの気持ちを伝えたいのです。これは冒頭にも述べましたが、利用者やご家族からすれば「苦情」でも「要望」でも、何でも構わないはずです。

そして、この利用者やご家族の気持ちを理解し、運営面に活かすことは運営能力の向上に繋がることも、ご理解いただけたのではないかと思います。

今後も、引き続き事例を交えながら「苦情」について、深掘りしたブログを書いていこうと思いますので、よろしくお願いいたします。

また、次回のブログもお楽しみに。

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