行政機関における介護施設に対する虐待認定より訴訟に発展した事例

行政処分(返戻・指定取消・連座制)

我が国では、行政機関は強大な権限を有しています。よって行政機関は、この強大な権限を行使するために、法律の裏付けと手続きが明らかでなければならないのです。

これは介護保険事業であっても同様で、制度事業で事業展開するにあたり事業者は、この行政機関の強大な権限に対し、気をつかうことになるのです。

そうした中で今回、行政機関による特別養護老人ホームへの虐待認定、これを受けての改善計画書等の作成指示について、運営する社会福祉法人は、その作成義務がないことへの確認を求める訴えが提起されたのです。

このように行政機関の強大な権限を考えると、場合によっては今回の事例の場合であっても他の事業者であれば、この虐待認定や改善計画書等の受け入れを容認するような判断もあったかも知れません。

今後、事業者側より、このような事例が出てくる可能性もあると思われるので、今回は本件について、私なりの考えを述べたいと思います。

今回の虐待認定と改善計画書の作成指示に至るまでの事実確認

本年1月、東京都渋谷区において特別養護老人ホームを運営している社会福祉法人における虐待認定について第1回目裁判が東京地方裁判所で行われました。
昨年より、渋谷区は虐待の通報を受けて立入調査を約3カ月に渡って実施、これを受けて調査結果とともに当該法人に対し、改善計画書の作成を指示したされたとのことでした。

しかし、渋谷区が当該法人の虐待認定、これに基づく改善計画書の作成を求めたことについて、当該法人は虐待の事実はなく、損害賠償請求及び改善計画書の作成義務がないことの確認を求める訴えを提起しました。

ことの発端は、確かに虐待に対する通報が渋谷区あったことから、渋谷区は当該施設に対し監査を実施したものと思えます。
しかし、今回の原告訴訟代理人の弁護士は以下の内容について言及しています。

  • 虐待の通報内容が開示されていないこと。
  • 立入調査が任意であることを知らされなかったこと。
  • 法人内のヒアリングでは虐待と認定できるものはないこと。
  • 心理的虐待の認定要件である著しい暴言、対応の客観的根拠を確認したくとも対応がない。
  • 聴聞の機会もなく虐待認定したこと。

この施設に対する立入調査は任意調査であるのか監査であるのか

そもそも、この調査は運営指導としての任意調査なのか、また行政処分を前提とした事実確認としての監査であり、これを受けて改善計画書の提出は命令にあたるのかが問題となります。

この立入調査があくまで「任意の調査」であるのであれば行政指導の範疇であるとするのであれば、渋谷区は以下の行政手続法に従うべきです。

また施設側の認識も、行政指導としての任意の調査であるならば、介護保険法第23条及び第24条にいう、文書や物件の提示や提出の求めや質問等により行政調査を行い、事業者の情報を収集の範囲に留まるということになるはずです。

行政手続法第32条第1項(行政指導の一般原則)

行政指導にあっては、行政指導に携わる者は、いやしくも当該行政機関の任務又は所掌事務の範囲を逸脱してはならないこと及び行政指導の内容があくまでも相手方の任意の協力によってのみ実現されるものであることに留意しなければならない。

行政手続法第32条第2項

行政指導に携わる者は、その相手方が行政指導に従わなかったことを理由として、不利益な取扱いをしてはならない。

また、これが行政処分を前提とした監査としての事実確認であるとするならば、行政機関側は、介護保険法第76条に基づき検査を行うことを、施設側に明確に伝えるべきです。

私も高齢者施設の施設長在職時に外部からの虐待通報を受け、行政機関が施設に訪問して来た時に、この行政機関の立入調査が「行政指導によるものか」、また「監査によるものか」ということを明示されず、実際に対応に迷った経験がありました。

虐待として通報されても内容が開示されないと確認のすべがない

「高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律」(以下「高齢者虐待防止法」という)では、高齢者の養護者、養介護施設従事者等による虐待の防止について規定されています。

これは、介護保険法においても人格尊重義務違反に該当し、状況によっては指定取消等の行政処分を受ける可能性があるのです。
確かに、行政機関も高齢者虐待に関する通報があった場合、その事実確認を行うことが非常に重要です。

しかし、その通報を受け、行政機関は「虐待の事実確認のため客観的にかつ公平な目線」が大切であると思います。

行政機関に対する通報は虐待防止の抑止力になり得るものですが、その通報が必ずしも客観的な妥当性があるとは言えないと思います。
つい、虐待という強い言葉で通報を受けた場合、施設側に対しフィルターが掛かることがあるものです。

だからこそ、行政機関は虐待の判断基準に照らし合わせる形で、その事実確認を客観的かつ公平な目線で行わなければならないと思います。

また、虐待の通報を受けたとしても、施設側は虐待としての通報内容が開示されなければ、ヒアリングをはじめとした施設側の調査を実施することができないものです。

行政機関による不利益処分であれば聴聞の機会は必ず必要

行政機関が立入検査により行政処分を想定した範囲の命令、また監査を通じた不利益処分を科すのであれば、行政手続法では事業者に対して、その意見を聴く「聴聞の機会」を認めています。

今回の渋谷区は、当該施設の虐待の事実を認定し、改善計画書の作成を指示しました。施設側として虐待の事実を認定され、また改善計画書の提出を求められたという不利益処分が決定される前に当該施設側には聴聞の機会が求められるものであると思います。

事実、施設側は、虐待の事実を認めていないのですから、この聴聞手続を通じて自らの考えを表明することは重要ですし、何よりも渋谷区は不利益処分を科すに先立ち、行政手続法第13条により意見を述べる機会があることを教示すべきです。

行政手続法第13条第1項第一号イ(不利益処分をしようとする場合の手続)

行政庁は、不利益処分をしようとする場合は、次の各号の区分に従い、この章の定めるところにより、当該不利益処分の名あて人となるべき者について、当該各号に定める意見陳述のための手続を執らなければならない。

一 次のいずれかに該当するとき(聴聞)

イ 許認可等を取り消す不利益処分をしようとするとき。
ロ(省略)
ハ(省略)
ニ イからハまでに掲げる場合以外の場合であって行政庁が相当と認めるとき。

明確な手順や判断基準が示されないとこのようなことになる

今回の虐待認定をめぐる裁判の内容に目を通すと渋谷区の施設側に対する対応が雑に感じています。なぜこのような感覚を抱いたのかを私なりに考えてみました。

  • 事実確認で行政機関として客観的かつ公平な目線を維持出来なかった
  • 行政指導でも「事業者側が言うことを聞くだろう」という驕り
  • 行政処分を前提とするのであれば判断基準と手順を明示、教示が必要であった
  • 虐待の通報ということから「何らかの処分ありき」の対応

このような対応になってしまうということは、やはり行政機関がいまだに施設側を「下に見ている」、「言うことを聞くだろう」という考え方が根本にあるから、このような事例が生じてしまうと思います。

冒頭にも記載しましたが、介護保険施設等を運営していくためには、適切な施設運営が必要であり、保険者等をはじめとする行政機関との関わりは非常に重要なのは理解しています。

しかしながら、このような事例を見ると、改めて行政機関はそもそも非常に強力な権限を持っていることの自覚が足らないのではないかと思えてしまうのです。

つまり、行政機関が権力を行使するためには、相手方に根拠を示し、かつその手続きや判断基準を明示することが非常に大切なのです。

行政機関は、冒頭申し上げたとおり、強大な権限を有しています。これを行使するためには、当然法律や条令の根拠が必ず必要であり、行政処分を下すにあたり、適切な手続きを経ることが必須であるということを、今一度理解をするべきでしょう。

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